Nのために

Nのために
湊かなえ
東京創元社

やっぱり湊かなえの文章は読みやすい.そして先が読めない.
基本的にこの人が書く文章の裏には,しっかりと構成された物語がある.いきなり話が始まって,その物語の断片が徐々に明らかに,最終的には全ての点がつながってひとつの物語となる.と,そんな感じの文章なイメージ.

夫婦が死亡している現場に居合わせた四名の事情聴取.それがこの本の第1章.この章を読み終わった段階で思ったのは,”あれ,これで終わりでも良くない?”そこから徐々に明かされていく本当のストーリーが鳥肌ものだった.

登場人物それぞれが,自分にとって大切な人のことだけを考えてとった行動.その行動が絡み合った結末が夫婦の死.
物語のキーになるのが愛.かなり倒錯した愛情だとは思うけど,分からなくもない.

恋愛に限った話じゃないけど,昔から小説の登場人物,文章の中の人やそれを書く人の考えや気持ちを想像するのが好き.

正確には,人が何をモチベーションにアクションをするのか?ある人がとった行動から,その人の思考や性格を知ろうとする癖がある.
全ての行動には意味がある.よほど巧妙にカモフラージュしない限り,絶対に行動にはその人の思考や性格が表れる.
だから,自分が何か行動する時は,自分の本心が絶対に人に読まれないように,自分の考えが伝わらないように,建前なんだけど,あたかも本音に思えるような言い訳を二重三重に用意している.
少なくともつい最近まで本心を他人に話した記憶が無い.家族ぐらい付き合いが長いと,何を考えているか自分がとった行動から分かるみたいだけど.それでも,家族に対してもやっぱり自分の本心みたいのはあんまり話したことが無い.
親や兄弟に”これやりたい”とか”これをしたい”って本気で話した話は全部覚えてる.

何でなのかなって考えてみた.
一番の理由は自分に対して諦めみたいなものを持っているからかな.
次男だからなのか何なのか知らないけど,”自分は必要とされていない”みたいな考えが根本にある.
だからなのかな.人に対してモノゴトをお願いしたり,何かを頼んだり出来ない.コーヒー飲もうとかお昼食べようとかすら言えない.”自分はそうしたいけど,相手はそう思ってないだろうな.仮にそう思っていたとしても,少なくとも自分と一緒にってのは嫌だろうな.そうだよな,普段誘われないって事は,相手にとって自分は必要じゃないんだからだもんな.”みたいに考えてる.
もし仮に,相手が自分と何かをしたいと考えていれば,少なくとも何か話しかけたりするだろう.別にご飯を食べたりとかしなくても,少なくとも会ったら”おはよう,最近どう?”ぐらいは聞くだろう.が,冷静に考えると,高校の部活,サークル,研究室はそんな感じ.昔やってたバイトとインターンぐらいかな?人と会話をしたって記憶があるのは.
もちろん,自分からスゴク話しかけるという感じでもないので,話しかけにくいというか接しにくい空気みたいのがあるんだろうなとは思う.
だから,自分のことを理解している人はいないだろうなと思うし,理解してもらおうとも特に思ってない.
でも,その逆は然りというわけではない.特定の誰かではなく,ある人が何を考えているのか,その人の思考についてはスゴク知りたい.
すごく矛盾してるかもしれないけど,人の思考や考えについては癖というぐらいのレベルで理解しようとしてしまう.ずっとこんな感じだから,言葉の裏側に隠れてる本心とか見抜くのは割りと出来る方だと思う.

自分は必要とされないと分かってはいるんだけど,それとは別に,”あの人のために何か出来れば”と思う事がある.仮に誰からも必要とされていなくても,少しでも誰かの役に立てれば,何か生きてる意味はあるのかなって思えるからだと思う.
自分のそんな気持ちに気付いたのは高校生の頃かな.
スポーツ推薦で入部した人たちがいる中で自分は一般生として入部して,お世辞にも上手いとは言えない選手だった.その時その時で常に全力でやる以外の選択肢がないのは昔からそうだったけど,自分の無力さに気付かないほど馬鹿でもなかった.監督にマネージャーやらないかと言われて,真剣に悩んで.全国大会に行くためにマネージャーになった.それまではone of themだった部員が,いきなりthe oneに.長い時間はかかったけど,監督がthe oneとして扱ってくれたおかげで,チームの皆もそんな風に接してくれた.監督に真っ先に怒られるようになって,チームの責任を負うのが自分だと自他共に認めるようになって,毎日尋常じゃないぐらいプレッシャーを感じながら何とか生きていたものの,チームのために何かが出来てるかもしれない,皆のために意味があるかもしれないと常に感じる事が出来る立場に身を置けた事は今まで生きてきた中で一番の財産だと思う.
結局,全国大会には行けなかったけど,それでもあの時,チームに,監督に必要とされていて,チームが勝つために自分の命をかけていると思えていたあの頃は本当に幸せだった.
当時はマネージャーとして何をすれば良いのか,チームに何が必要なのか,昨日より良くなるにはどうすればいいのか.どんなに考えても考えてもそれでも怒られて,相談する相手は誰もいないし,地獄のような日々だった.それでも,毎日命を懸けて生きていると思える日々を過ごせていた.
そんな状況でも選手に対して自分の悩みとかを相談したことは無かった.一度だけ監督に心が折れそうな時に気持ちを吐露した事があったけど,それぐらいかなぁ.

大学2年生の冬.新人戦で後輩が負けてから1ヶ月ぐらい経ったある日.
たまたま監督に会った時に呼ばれて,新人戦で負けた話をされた.どうも練習で意図したものがチームに伝わらないという風に感じているそうだ.それは練習を繰り返して,何度も何度も語りかけるしかないでしょうぐらいしか言えなかった自分に対して,”練習を見に来れないか.俺の言葉で伝わらなくても,お前の視点からの言葉もあれば,共通する何かを感じ取れるかもしれない”と言ってもらった.
卒業して2年経ったあの頃でも,自分がチームのために何か出来ると言ってもらった.しかも,自分にとって全てだった監督が,チームが辛い時に他のOBじゃなくて自分を
次の練習から毎日行きますと即答して別れたが,あの時涙が出そうなぐらい嬉しかった事は今でも覚えている.
あの代が初めて成し遂げたインターハイ出場に,少しでも貢献できたのかなぁ.

こんな自分でも,自分の本心を話しちゃう相手がいる.
何でか分からないけど,つい.普通の人にこれを話したら,二度と話しかけられないだろうなって本音も話しちゃう.相手が自分の事を理解してくれてるから,って思ってるからだと思うけど.
ただ,それでも,その人にとって自分が必要な人間かどうか?と考えると,絶対にそうじゃない.
必要とされなくても,それでも尊敬する相手だから,何か力になれれば,役に立てればと思うけど,全然ダメ.
自分の事を理解してくれる人って,すごく希少だと思う.
本心を包み隠さず話せる人がいるって,とっても素敵なことだと思う.
辛いこと,悲しいこと,ネガティブなことを話せる相手.そんな話でも受け入れてくれると思える人がいるって,とっても恵まれている.

力が欲しい.ただ力が欲しい.
昔からそうだけど,多くは望んでない.友達が欲しいなんて望まないし,もっと仲良くなりたい,もっと色んなこと話したい.もっと色んなことを共有したいとも望んでない.仮に思っていたとしても,諦めてる.
それは諦めるから.だから,せめて,力が欲しい.自分が尊敬してる人や好きな人の力になれるように.役に立てるように.それが出来るだけの力が欲しい.

昔を思い出したり,今を思いながら,この本を読んだ.

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